疲労感というかけだるさというか、
力んでいないというか、力がはいらないというか。
友人にその状態をもっと深く感じてみたら
といわれてやってみたら、これってもしかすると
無我っていう感覚なのかもしれないっておもった。
思考はなくて、ただいるだけ。
ほしいとか、やりたいとかそういう気持ちも
あるのではなくて、感じるのは解きほぐされている
感覚。
作られた価値観や信念の呪縛もなく、
境界線への抵抗もなく、えんぴつを動かすと
地球と自分と宇宙がつながる絵が書けた。
疲労感というかけだるさというか、
力んでいないというか、力がはいらないというか。
友人にその状態をもっと深く感じてみたら
といわれてやってみたら、これってもしかすると
無我っていう感覚なのかもしれないっておもった。
思考はなくて、ただいるだけ。
ほしいとか、やりたいとかそういう気持ちも
あるのではなくて、感じるのは解きほぐされている
感覚。
作られた価値観や信念の呪縛もなく、
境界線への抵抗もなく、えんぴつを動かすと
地球と自分と宇宙がつながる絵が書けた。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-31 01:52 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (2)
自分が体験していたことが今鏡となって現れている。
「認めて!」
この一ヶ月で「わたしを認めて」というエネルギーを
ずっと感じていた。
何か不満があるのは自分自身を正当にみてくれていない
状態にアンバランス感をもたれている人が多い。
そして、それは自分が本当のそうしたいからではなくて
人から「評価」されることで動いているからだということも
感じている。
「ふれあうこと」
電車にのるといらいらしている人が多い。特に感じるのは
若い世代の人かな。
まるで、自分は孤高の人のようなそぶりやしぐさをしている。
話しかけるとびびる感じ。
愛情の枯渇感を感じる。
「ぼくたちの世界」
心を分かつ友がいてそれが楽しくてほかが見えない
「これはマイワールド、アワワールド」。 大騒ぎ。
切り離されることへの不安を感じていた。
海外に長く住んでいた友人と話をしていた。
東京には長く住めない。 最近はうるさくてよく
眠ることができない。 敏感すぎるとはおもわない。
それが正しい感覚なのだとおもう。
その友人も感じていた。 電車の中でみんな不機嫌
で、だんまりしているのはなぜなのだろう。
ぶつかっても言葉を交わさない。
同じ単一の文化の中で「みんな考え方は同じ」だという
前提で「あれ」「それ」という言葉で通じあっていることも
あるだろう。
でも、一個人は違う価値観をもっているし、沈黙という
美点についての理解がねじれてしまっているような
感じがする。
どれも、自分がかつて振舞っていた鏡が目の前に
映し出される。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-29 09:12 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
こんばんは、マチュピチュ、映画の「The Gift」(ギフト)
さらにあともう少しで映画「コンタクト」。
なんとも不思議な夜のテレビだ。
全て局が違うし、何かの変化が訪れようとしている
感じがする。
マチュピチュはその歴史や神殿はさることながら、
植物に惹かれた。そう、この番組の最後には
ユーミンの「水の影」がかかるのだ。 これは
「時のないホテル」というある意味時空を超えた
舞台はイギリスを歌ったアルバムだった。
The Giftではケイトブランシェットが占い師として
登場したけど、彼女はロードオブザリングで、
エルフの王妃ガラドリエルを演じていた。
不思議な雰囲気を漂わせていた。
そしてキアヌリーブス。 マトリックス、
そして、コンスタンチンと時空と次元を
超える役柄を演じている。その二人が
でているだけで不思議だったが、ケイトが
カードを使うサイキックだなんて........
コンタクトは飛行機の中でみたが、
ジュディフォスターが演じる地球外生物と
コンタクトをとる科学者を演じていた。
これもまた不思議。
でもぼくはどれもすべて存在するとおもって
いるし、感じていたりもする。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-28 12:21 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ツイてる自分、そしてあなた。
友人との挨拶は最近それで始まる。
斉藤ひとりさんがいっていたんだったかしら。
死にかけたのにこうして生きているんだもの
ツイているにちがいない、なんて正直におもう。
すばらしい家族、友人たち、出会う人。
全てに感謝。
等身大で、このままで、あるがままで素敵な自分。
タデウス・ゴラスの言葉を見た。
あなたはどれくらい許され、愛されたのですか。
それと同じだけのものを他の人にもあげなさい。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-27 12:12 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
中学時代にものすごく落語がうまい友人がいた。
話ぶり、しぐさ、そして絵の才能、なにか超越している
感じがしていた。
中学1年で大学生とも互角に舞台にでていた。
落語は自分には存在しないものだったから
とても新鮮で驚きだった。
最近落語を耳に目にする。
親が落語好きであることも最近知った。
林家正蔵一門の落語を聴きにいってきた
と聞いてこれまたたまげた。
一平、春風亭小朝、喜久蔵
凄い顔ぶれだ。
落語って日本の言葉ならではの芸術だよな。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-26 12:12 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-25 12:04 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-24 12:42 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
「へこんでいることが馬鹿らしくなった」
「生きていて本当によかった。そう思えるまで
長い時間がかかったけど。」
いきなり人の名前をタイトルにしてしまうことは
いかがなものかとおもったが、今日聞いた言葉
で一番響いた言葉だった。
正確でないかもしれない。
尼崎の列車事故で片足をなくされた
20歳の林さんがTVで言われていたことばだった。
ある病院に移られて、そこで他のかたたちと
接しているうちにそうおもうようになられたそうだ。
「へこんでいることが馬鹿らしくなった」
なんて力強く、そして励まされることばだろうか。
今日は寒くもなく、暑くもなく、そして雨が
ぱらぱら降って実に気持ちのいい日だった。
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-23 01:17 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日投稿したこのタイトルの文章が消えていた。
どこにも残っていない。何がおきたのだろう。
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寝る前にTVをつけたら延暦寺の修行をカメラが
追っていた。
ちょうど滋賀と京都出身の友人と会っていた直後
だったので、共時を感じてすこし見ていた。
ここ数年は鞍馬に出かけたり、知り合いが高野山
で学んだり、延暦寺は中学の修学旅行で出かけて
からあまり縁がなかった。
伊勢、志摩、比叡山、奈良、京都というコースだった。
修行風景は、どれも、無心で空になっていくようだった。
歴史をもっと知りたくて、サイトでサーチしてみた。
天台宗だった。天台の由来は中国の天台山、
上海からもそれほど遠くないところだ。
天台宗の紋に目がいった。 菊に3つの星。
菊は、世界、地球、宇宙をあらわし、天台の
台とは星をあらわしていた。 わお。
延暦寺の紋は3つの星から、光が注いでいるような
形で、その話をしたら、エジプトのアクナトンが浮かんだ
といわれた。
開山は古く700年代だった。 ぼくが気になる唐の時代で
奈良平安時代。 飛鳥というところにもとても惹かれていたんだ。
延暦寺が、ぜんこうじ(善光寺)にも、そしてぼくの
家系の浄土真宗にも関係しているとしり、また興味を
そそられた。
天台宗のサイト
投稿情報: kazuyacharlie | 2005-10-22 06:54 午前 カテゴリー: ウェブログ | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)