自分が体験していたことが今鏡となって現れている。
「認めて!」
この一ヶ月で「わたしを認めて」というエネルギーを
ずっと感じていた。
何か不満があるのは自分自身を正当にみてくれていない
状態にアンバランス感をもたれている人が多い。
そして、それは自分が本当のそうしたいからではなくて
人から「評価」されることで動いているからだということも
感じている。
「ふれあうこと」
電車にのるといらいらしている人が多い。特に感じるのは
若い世代の人かな。
まるで、自分は孤高の人のようなそぶりやしぐさをしている。
話しかけるとびびる感じ。
愛情の枯渇感を感じる。
「ぼくたちの世界」
心を分かつ友がいてそれが楽しくてほかが見えない
「これはマイワールド、アワワールド」。 大騒ぎ。
切り離されることへの不安を感じていた。
海外に長く住んでいた友人と話をしていた。
東京には長く住めない。 最近はうるさくてよく
眠ることができない。 敏感すぎるとはおもわない。
それが正しい感覚なのだとおもう。
その友人も感じていた。 電車の中でみんな不機嫌
で、だんまりしているのはなぜなのだろう。
ぶつかっても言葉を交わさない。
同じ単一の文化の中で「みんな考え方は同じ」だという
前提で「あれ」「それ」という言葉で通じあっていることも
あるだろう。
でも、一個人は違う価値観をもっているし、沈黙という
美点についての理解がねじれてしまっているような
感じがする。
どれも、自分がかつて振舞っていた鏡が目の前に
映し出される。
>どれも、自分がかつて振舞っていた鏡が目の前に
映し出される。
ぼくがこんなことを言うのも、おこがましいしいというか、はばかられるのですが、
そうやって、そこにかつての自分を見出せている。
いまの自分がいる。
というのが、スゴイなぁと、思いました。
投稿情報: だいだー | 2005-10-30 09:48 午前