久しぶりに頭がぐらぐらして立つ気力もなかった。
普段のリズムではない。
ひとりで静かにしていたい。
音楽を聞きたいという感じでもなく
本を読みたいという感じでもなく、
ましてやテレビを見たいなんてこともない。
静かに、クリアにただいたいだけ。
去年買ったテルミンの箱を開けて音をだしてみた。
テルミンは鍵盤も空気を入れるところもない「楽器」
手を動かして音をだすところに惹かれていた。
買うことを決めてから、なんで名前がテルミンなのか
と思ったりして調べた。人の名前だった。
ロシア人。
辿っていくと、フランス、カタリ派、バスチーユなど、
タロットにつながる場所などがでてきた。
そして「エーテル楽器」とか呼ばれているらしい。
これも凄い。
自分の内なる創造主に頼ることは
それ以外の全ての依存から自由になることを
意味する。
~ずっとやりたかったことをやりなさい ジュリアキャメロン~
活字を読まない一週間だった。
読まないと思うと、読みたくなる。
でもだんだん読まないことが楽になった。
読まないと不安だったこともわかった。
誰かに同意を求めるように、活字に自分との同意を探しては
安心していたんだ。
気温が上がって空気が変った。
これは、その他大勢の集団催眠的な生き方をしているいわゆる
「一般的」「平均的」な人たちからの差別用語だと思った。
でもオタクが受け入れられるようになってきたということは
人との違い、個性の尊重が広がってきたということなのだ。
境界線の問題をもっていたぼくは、実に気づかないで周りや世の中の影響を受け、そして「気」を使っていた。 そうであったことに気づき、回りの人たちの突進していく姿をみて、一方はそのパワフルさに感心し、うらやましいと思うこともある。 でも、奇をてらわない、正直にいられるように
この言葉が気になっている。
里の行をするということは浮世というところを
生きることなのかなあと感じているのかもしれない。
街をあるいていて、深刻になりすぎるまじめすぎる
自分を振り返って、肉体を持って地球にいきることは
楽しむことで、笑いや喜びや悲しみや苦しみという
感情をもち、でもそれはどうとらえるかによって、
まったく違ったものになってくること、「正しい」といわれてる
そう思っているものはあるとき「大多数」が支持をしたこと
に過ぎないと思うと、もっと自由に、一般化されない価値観を
持ちながら生きることが大切だと感じた朝の散歩。
今週はあと二つ。
大丈夫なふりをやめること、
そして活字を読まない。
この二つをするとどんなことがおきるのだろう。
サンスクリット語で霊性の危機あるいは霊的な服従を意味する。
- 「ずっとやりたかったことをやりなさい」 ジュリア・キャメロン
そうだったんだ。
体の反応となってあらわれることが多いクリアは精神が突きつけている
最後通告だと。
そして「明け渡し」ともよばれて、人々はしがみついているものを手放す
ようにいわれる。
何にしがみついているかがわかればそれを手放すことができる。
心身共に変な感じの1週間だったのだ。
老子の言葉。
道の道とす可きは、常の道に非ず
名の名とす可きは、常の名に非ず
名無きは、天地の始めにして
名有るは、万物の母なり
あなたが、こうである、と思い込んでいる世界観は
常にその通りであるとは限りません。
という意味だそうだ。
なるほど。
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