この言葉が気になっている。
里の行をするということは浮世というところを
生きることなのかなあと感じているのかもしれない。
街をあるいていて、深刻になりすぎるまじめすぎる
自分を振り返って、肉体を持って地球にいきることは
楽しむことで、笑いや喜びや悲しみや苦しみという
感情をもち、でもそれはどうとらえるかによって、
まったく違ったものになってくること、「正しい」といわれてる
そう思っているものはあるとき「大多数」が支持をしたこと
に過ぎないと思うと、もっと自由に、一般化されない価値観を
持ちながら生きることが大切だと感じた朝の散歩。
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