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アインシュタインは寛容とは野放しにすること
ではなく、理解と共感がともなうのだと確か
いっていた。
写真のもつ魅力をあらためて感じていた。
コラージュ療法というのがあるように、撮る写真も
心象をあらわしているのだ。
何かわからないけどシフトが起きている感じ。
友人たちから来るメールもみなそんなことを
いっている。
自己信頼→自分をそのまま受け入れる→
自分を大切にする→自分を愛する→人を受け入れる
→人を愛する
そんなことを考えていた。
寛容とは野放しにすることではなく、理解と共感がともなう - この言葉、僕も以前どこかで聞きました。
無関心や冷淡を、寛容と勘違いすることなかれって。。
僕は反省してみた。 今までいい人ぶって、人と表面的にしか付き合ってこなかったこと。 今も自分が嫌われることを恐れて、なにもいえないこと。
そんな自分を変えていきたい。 まずは、自己信頼からスタートか。
投稿情報: 野口実 | 2005-09-29 11:05 午前
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寛容とは野放しにすることではなく、理解と共感がともなう - この言葉、僕も以前どこかで聞きました。
無関心や冷淡を、寛容と勘違いすることなかれって。。
僕は反省してみた。
今までいい人ぶって、人と表面的にしか付き合ってこなかったこと。
今も自分が嫌われることを恐れて、なにもいえないこと。
そんな自分を変えていきたい。
まずは、自己信頼からスタートか。
投稿情報: 野口実 | 2005-09-29 11:05 午前