ACの本の続き。
この本「家族という名の孤独」の後半は
う〜んとうなってしまうところがたくさんある。
扱っている世代が自分にと同じで、
考えてみるとまだまだ前時代的な
価値観を生きているのかと思ってしまう。
男の自分として、おお、とうなったのは
この項目。
自分は「普通の」男だ信じきっている日本の
男について....
「健全」といわれるような家族で育った男たち
のほとんどが母子一体のナルシズムの世界に生きている。
思春期に入ったときこうした「お母さんのよい子」たちは
ははのファルス(象徴的ペニス)であることを断念させ
られ、その去勢の痛みのなかで自らのファルスを育てる
という作業に入らなければならないのだが、....
結果として日本の男たちの多くは、子供の立場のまま、
表面的な男らしさを追求するという無理な人生を.....
世間でいう男らしさの基準に従って筋肉の力を
蓄えたり、知的、性的な能力で自分を鎧う。
アルコールや自転車、学歴、哲学者の名前などが
彼らの「男らしさアイテム」であるが........
そして!
その根底には他人(異性)が自分をみとめてくれるか
というとどめのない不安があるからである。
はあ!
そのあと「過労死予備軍」
職場のぬくもりと安心感からはじき出される
ことの恐怖のために働きすぎて倒れるのである。
これがいいとか悪いとかではなく、一精神科医の分析だ。
女性については、「ロボット化した女性」
「都合のよい女」など興味深い。
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