昨夜から頭が痛かった。
朝になるとひどくなっていた。
これはもっと体に関心を向けなさいということだと思った。
「あいている時間」に関心を向けるのではなく、
「そのために」時間をとることにした。
1時間ほどすると痛みが和らいできた。
最近会う人に「スローライフにしました」
なんていっていたけど、十分にスローではなかった
と思った。
意識的にスローにしていたら、混雑した街中で
ぶつかってもお互いわらいながら「ごめんなさいね」
っていえる余裕がでてきた。
細木教子のでる番組で、親との同居のことをやっていた。
この間知った、魂はいずれは一人で歩くということと
これは境界線についてだと思った。
パラサイトシングルのぼくが偉そうにいえるものでは
ないが、もし真に自立していれば、親との同居は
より建設的で愛にあふれるものになるのではないか
と思った。
自分の境界があいまいであること、自分が気付くべきこと
があること、手放す必要がある場合などが家族のある形
になって機会となるのだと思った。
スローにいたのでいろんなことが見えた。
いつもより客観的にみえた。
○○のせい、□□だから....といった、...のせいに
していたものは自分の心のありかたや考え方が
つくっていた幻想だったのだった。
そしてそれはぼくの秘められた怒りの元でも
あった。 期待したようにならないことに怒っていたのだ。
怒りの原因のもうひとつは、自分がなんだか劣っていると
感じて、どうしてぼくはだめなのかと自分を責めていたとき。
その結果「これではたりない、あれもこれもやらなければ」
になっていた。そうすれば人はぼくをもっとうけいれてくれる
だろう....といった具合だったのだ。 自分を満たすことを
外に求めていた、ということだろう。
これは何かを直視しないで、自分が安心できるもの
情報を集めて、避難していたということにも等しいかもしれない。
そして矛盾がどんどんおきたのだ。
不安なものは排除して、自分がそうなってほしいという
コントロールにも近い期待をいつも持っていたのだ。
それではいつまでも不安感など消えやしないはずだ。
そうそれは自己信頼でもあるのだ。
夜に白さが際立っている花が気になる。
でも昼にとった黄色い花と空。
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