暖かな穏やかでさわやかな春日だった。
父の店に出ていた。
常連で会社の社長をされている方が家族でいらした。
それを見て思った。
幸せって?
その方がどうだということではなく、
昨夜みた「10代しゃべり場」で若い
女社長の言葉の使い方、人との接し方
に、この人はなにに幸せを感じている
のだろうと思ってしまったことに
引きずられたのだ。
それはお金というものに対しての
自分のもつ価値観などを映し出して
もいるのだと思った。
創造性を表現すること、循環を生むこと
豊かに生きること、そういうことがブロック
されてしまったら、生きることっていうのは
なんだろうかと思った。
ぼくは人とじかに接して、自分が感じることを
伝えたり話したりすることがたくさんある
才能のひとつだとそのときに感じた。
それもお茶をだしたり、食べ物をだしたり、
花を生けたり。日常のなかの潤い。
知人からもらった本をひらくと、こんな
ことがあった。
あらゆる問題は変化を恐れることから起きて、
その恐れを罪悪感で覆い隠している。
それに感じることあっても、反応していない。
今朝も太陽を雲が横切っている。
そして夕方、飛行機雲がよこに。
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