昨日の子供の話。
学校にはいると好奇心をそがれてしまうということだった。
それを聞いて感じたこと。
ぼくにとって好奇心というのは二つの側面をもっていた。
新しいことをたくさんしりたいということは小さいころから
ずっとあった。
自分の境界線があいまいだったことにいつしか無意識が
気付いて、そこにはいるものに反応しだしたとき、自分に
対して好奇心をもたれることがひどく不愉快になっていた。
自分が好奇心をもつことも、その裏返しで自分のなかで
タブーになっていたと思う。
人からの好奇心は干渉とも近かったかもしれない。
中国語で「八卦」ともいう。おせっかいが訳語としては
適切かもしれない。
好意、親切、好奇心、おせっかい、干渉はぼくのなかでかなり
ちかいものとして同様の反応となっていたのかもしれない。
ああ、複雑だ。
コメント