聞かぬは一生の恥。
確かにその通り。
このことわざをふと思い出した。
むやみやたらに聞いたりすることが
できなくなっていた時期があった。
というか、むやみやたらに聞くことって
あまり気持ちがいいことではないと
感じていたことがあった。
でもこれも境界線の問題だったと
おもった。
それにしても、「聞くのは」「恥」だという
概念が日本には昔からあるっていう
ことだったんだなと再認識した。
文化に根付いた古い価値観で
要らないものは手放そう。
子供が殺されたり、違法建築が発覚したり、
ざわざわしたニュース。
大人が子供を殺してしまうというのは
その人が置かれていた環境や、植えつけて
きた価値を観ずしてその人の是非を問うこと
はできないと思う。
もうひとつのは、たくさんあるものを代表して
いま表面にでてきたという感じがする。
社会の構造や人々のかかわりのありかた
でもあるし、あるいは人ひとりのなかでの
体、心、思考などの矛盾、あるいは本来ありたい
ことを曲げてしまったためにでてきている現象
のようだ。
ほかにはどんなことを象徴している出来事なのだろう。
夕方の空。
古代歴史を扱う面白い漫画。
出雲、アトランティス、神殿騎士団、
興味を掻き立てられる。
雲の低い空。
自分の部屋に腰を下ろすと
黒い小さなものが動いていた。
ちょっとあせった。
よく観ると、あれま、天道虫だった。
珍しい。部屋の中にいるなんて。
写真を撮り始めた。
するとレンズの中から見えなく
なっていた。
あれ、と思ってファインダーから
目を離して探した。
ぼくの手の甲を歩いていた。
じっとみていたら、今度は羽根を
広げて飛んでいってしまった。
こんなことってあるんだ。
年がら年中やっているともいえる。
近所ですれ違った電気店の車をみたら、
小さいころに見ていたアニメなどを思い出した。
一番最初に思い出したのが、「風のフジ丸」
渋い主題歌とカッコいい絵だった忍者漫画だった。
本も家にあった。 ♪風のフジ丸少年忍者~
その次は、ジャイアントロボ。スフィンクスの顔をした
ロボットだった。撮影現場に見学にいったこともあった。
これは実写だった。
そして悪魔君。 エロイムエスサイムとかいう呪文を
唱えると魔方陣が回る実写だった。 白黒だった。
これはすごいと思った。
恐竜王子。これも実写だった。恐竜に少年がのって
いるやつ。
河童の三平。 ぎこぎこぎこというテーマソングは
不気味だった。内容は覚えていない。タイトルとその
曲だけ。これも実写だった。
どれも、子供向けにしては、今思うとすごすぎるほど
リアルな、そして何かを伝えていた気がする。
その電気店の車が、なにゆえにこのような番組を
思い出させたのかがなぞ。
うーむ。
昼過ぎに海沿いを散歩した。
半月が大きくうっすらと海の割りとすぐ上くらいに
見えた。
そしてその右に90度回ると太陽があった。
目をつぶってそれぞれの前にたたずんでいた。
気持ちがいい時間だった。
『正しいこと』を考える、『正しいこと』をすることに
とらわれていた自分。
こんな文章に出会った。
正しくあるよりも、うまく調和させるほうが大切なときがある。
風邪は快方に向かっている。
声がハスキーになりすぎで、自分でも酔いしれそうだ。
今日は無原罪のマリアの日だと聞いた。
世界各地でエネルギーがこれまた動いている。
大きな駅のカフェで休んでいた。
人を見ているのが好きで、見ていた。
いい顔をした人がたくさんいた。
これも自分の心の鏡だろうか。
喉のガラスが取り除かれて、エネルギーの
ブロックが解けて流れがよくなったからだろうか。
声が変なのを知って、オーストラリアの石を
当ててくれた。 凄くパワフル。
そう、オーストラリアとつながるという
ことが多かったいちにちでもあった。
知り合いの方のガイドにぼくが伝えたいことを 伝えて、そしてその知り合いにそのことが ちゃんと伝わった、というリアルな夢だった。
今朝はひとつだけ。
自分と対話する時間が少ない一日だった。
朝の空は、空のへりに雲があり、 澄んだ深い青ときれいな雲のコントラスト。
夢が4つあるということではなく、同時に違う夢を
4つ見ていた。
珍しい。
こういうことがあるんだ。
時間が経って覚えているのは1つ。
どこかで出会った少女が我が家に
来てみんなと話をしている。
どの夢も白い感じだった。
昨日の夕方から喉が痛くなりだして、
夜には寒気と熱になった。
鼻うがい、メタフィジオのストーンヒーリング
などをさくっとして、眠ったら、まだのどの痛みは
あるものの、予想以上に早い回復になっている。
熱がでると、体の感覚が鋭敏になるので、
普段は感じづらいところの痛みなどを感じている。
痛みは、あわてて何かをしている自分に気付かせて
着実にすることを思い出させてくれているかのようだ。
食べること → 味わい感謝すること
しゃべること→ 真実をきちんと伝えること
歩くこと → 瞬間を感じること
今日は英語をずいぶんとしゃべっていたが、
早口の自分は、驚くほどゆっくりとしゃべることで
意識的な会話ができることがわかった。
気が馳せてただ伝えるだけになっていたことも。
喉の痛みが治まると、今まで以上に『真実』を
語る喉になるのだろうと、わくわくしている。
晴天の今日、そして銀杏。
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