久しぶりの友人と話をしていた。
お互いこの数ヶ月の間に変化があって、
それは自己信頼を強化したという経験
だった。
心情を声に出すことがあまりうまくなかった
ぼくがあまり滑らかに話すので、「かわったよね~」
といわれ、「お互いさまだよね~」と返した。
「だから本当に楽なんだよ、余計な『気』をつかわないし、
自分そのままでいられるから」そんな会話だった。
そして、自分たちはたくさんの人、ものに感謝しなければ
ねえ、とも。
その友人が出した例はかつて「サタディアドベンチャー」と
いわれていたユーミンのFMの番組のお便りコーナーで
の相談はがきのことだった。
彼氏が死に掛けて苦しかったというはがきに、ユーミンは
「大変だったんですね」という言葉をかけた後、
戦争が今でも行われれて、肉親が目の前で死んでいったり
いつ襲われて傷ついたりするかわからない国にいるひとや
不治の病をわずらっている人たちよりも、恵まれているのだ
ということを思えば、生きる望みももっとでてくるでしょう、
っていう話だった。
その友人がユーミンの番組を聴いていることにも驚いたが、
そんな話をしたことにはさらに驚いた。
生かされていることに感謝。
そして人に、世界に、宇宙に役に立つことを
したい、と声に出している自分がいる。
子供は善悪の判断が難しいと言われている。仲間の過ちを正してあげようとするのは、ごく少数である。小学校低学年までのほとんどの子供は、いつもみんなと一緒にわくわくしながら楽しく遊んでいれば、それが一番幸せだと思っている。
驚くことに、大人でもこのように言っている人がいる。
しかし、通常の大人はもちろんそうではない。
社会人は、毎日の生活の中で少なからず自身を切磋琢磨し、自分を磨いている人が多い。
会社では、自分とカラーの違う同僚も理解する必要がある為、大人でないと勤務を続けることは困難である。
又、仕事上自分の思うように行かない場合、「自分が変われば周りが変わる」と努力している姿が見られる。
以前、米国超一流大学卒業の同僚がいたが、彼らはそれを微塵も自慢することがなく、大変気さくな人たちであった。自分に余裕のある人はかくあるものかと頭の下がる思いであった。
「企業には立派な人格者が多い」と言われているのも大きくうなずけるところである。
自分とは異なる環境や考え方の人たちと一緒に取り組んでいかねばならない場 – 実はここも又、魂成長の為の絶好の場所である。
魂の成長には常に苦痛が伴うものである。
それを乗り越えた時、新たな次元が目の前に広がる。
そして今までと、どこか違う自分を感じる。
それは大人のみが体験することのできる大きな喜びのように思う。
桂さんのホームページにあった言葉:
「魂は永遠に生きるんだね」
桂さんが、輪廻転生や因果応報をどのように理解していたかはかいもく見当がつかないが、この言葉自体は真実である。
魂は今生だけではなく、今後も永く続いていくものである故、
試練は、それが自分自身の魂の成長に必要なことであると捉えることができれば、きっとポジティブに乗り越えていける。
そしてその先には、必ずや未知なる次元との感動的な出会いが待っているはずである。
投稿情報: 東正吾 | 2005-10-09 06:16 午後