時間に制限があると思い込んでいて、
あせっていたが、 どうにもならないと開き直ったら、
とてもせいせいして、 そうしたら、その制限を受ける必要がなくなった。
母の家系の問題はあっというまに解決の方向にいった。
母自身が法則を理解し始め、そして変化がおき始めた
ことで速度が増しているのをまのあたりにしている。
歩いていて気が付いた。
自分は牧師や研究者という過去生が多く、今世は
いわゆる 一般社会のことを経験するために、
ある環境に身をおいてきたのだと。
そこでの学びが終わることで、自分のCareerがシフト
するのだと。
そう、長い間、「ある環境」のもつ「しきたり」を理解できて
いなかったということがひょんなことからわかったのだ。
そのしきたりを変えてやろうなどということではなく、
それをそのまままず受け入れ、そして、自分はそれに
関してなにが違和感なのか、何が宇宙の法則と異なって
いるのか、なにをするのが自分の神性に役に立つのか、
どう振舞うこと、コミュニケーションをとることが必要なのか
などを学ぶ場所だったのだ。
すべてのことはそうなのだろう。
そうすることで新たなことを味わって
そして新たなものが創造されるのだ。
それこそがわくわくにつながる。
今まで「失敗恐怖症」だったともいえる。
安全で安定しているものは、実は
自分を尊重できていなかったり犠牲になって
いたりという代替になっていたりしているようだ。
朝の空と久しぶりに花を付け始めた
我が家の紫陽花。
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