「何をしたのか」から 「何を感じたか」「なぜそう感じたか」「それは何を自分に教えてくれているのか」 そんな感じ。
心が響くこと。
人の表情、生き方、姿勢、ひたむきさ、愛、情熱。
美しい景色。
本当に短い一言の言葉。
感謝。
じゃあ自分がしていて、考えていて腑に落ちるのって
なんだろうと思っていた。
それは、宇宙とつながっているという感覚。
自然に口から出てくる言葉、それはハートからさらさらと。
ひょんなことからパリで活動している中東出身の
アーティストとであった。
人との出会いは奇なるものだと思う。
そのアーティストのやっていることは
ぼくが長い間興味をもっている、空間と
文化と、歴史の交差点のようなもので、
時間を忘れて話しに聞き入った。
でてきた場所や建物が、ぼくが好きな
あるいは好きだった場所で、ピンポイントに
その景色を思い浮かべていた。
家族を含め目の前にいる人は自分の心の鏡であるとは わかっていた。 最近は自分も誰かの鏡であるということを自覚している。
それぞれの役割が修了すると、役割交代。
舞台と配役が変っていくということは普通のことで、 もしそうでないということは、完璧なのだろう。
配役の交代は、気が付かないように起きている こともある。
変化を受け入れ、それが普通なんだと。
感謝をこめて。
久しぶりの非快感。
振り返ってみると似たようなそれが幾度かおきた一週間。
どれも異なるきっかけからおきている。
でもいやな感覚を覚えるというのは
気付いて、手放すことがあるってことだよね。
なにがおきたかのだろう。
はっきりとわからない。
だた感じたことは、過去に引きずられるのはもうやめよ。
その必要もない。
自分の足で自分の道を行きなさい。
だった。
窮屈な感じをもっていた。
古いものから抜け出させない自分に。
今までにありがとう。
そしてこれからもっと自分らしい道をいく。
当たり前、という言葉がぼくのなかでクローズアップ
された。
それって何を基準にしているんだろう。
世間?マスコミ?親の価値観?教科書?
そう考えていたら気持ちがわるくなった。
電車に乗るとおそろしく混雑していた。
ずっと抱いていた疑問が湧いてきた。
なんでこんなに混んでいる電車で新聞を
読んでいるんだろう。
どうしてみんな無表情なんだろう、ぼくも含めて。
そしえ「痛ーい」「おえー、苦しい!」と大きな声を
あげてみた。
周りの人が離れていった。
面白かった。
今日の天気は曇り時々はれ一時雨。
朝歩いていると、いつしか学生時代に
滞在したイギリスのケンブリッジにトリップしていた。
イラク人のランドレディとイギリス人のランドロードの
家に滞在してた。
2ヶ月の間自転車でケンブリッジに通っていた。
雨はあまり降らなかったけど、確かに曇りの日が
多かった。
緑の美しい、古い建物に囲まれた、ケム川が流れる
穏やかな場所だった。
ケンブリッジのあとは海風の匂いをかいだとたん
アムステルダムにトリップしていた。
中央駅の見える場所に立って、風が運ぶ海のにおいを
かぎながらいる。
自転車で行きかう人たちと、レンガ色の建物と、運河を
見ている。
そして空を見るとケンブリッジからロンドンに遊びにでて
ハイドパークでみた空を思い出した。
低い雲が流れていたいちにちだった。
山の手線で広告に引っ張られた。
穏やかなお顔の仏像が大きく写っていた。
最澄と天台の国宝。
わお!これは是非行きたい。
そして目を右に向けるとそこには
「ナスカ」。
ワオ、こっちも行きたい。
このパソコンの奥の壁には 平等院展のときに
ポスターが張ってある。
こういった美術展覧会のポスターは
カッコいいとおもう。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=2773
ナスカ 地上絵の創造者たちhttp://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/nasca/tenji/1-07.html
パソコンが動かなくなっていた。
それに続いてプロバーダーのサーバーがダウンしていた。
新月直前の数日のことだ。
昨日からまともに動き出している。
朝風呂に入っていたら浮かんできた。
器用貧乏。
がんばらなきゃと必死だったときが過ぎ、
このままでいいのだと思っている。
と思い込ませていたのかもしれない。
大概のことはやればできるのだと感じて、
でも全てをひとりでやり切れるのではなく。
なんでもそこそこできるけど、これがDeepに
できるという軸になるものがほしいと思ったんだ。
そうしたらJack in all tradesという熟語が浮かんできた。
器用貧乏を表すのだけど、受験勉強時代にJackという言葉
がほかにもびっくり箱という意味をあらわすときに使われて
いた。Jackは愚者でもあるからだろう。
ふふ。
Yumingの曲にもあったフレーズ。
ねばならなくてよいと思ったとき、
このままの自分でいいと感じたとき、
がんばっている状態を望まなくなったとき、
静寂にあるがままの自分でいることを
感じている。
小林 正観: この世の悩みがゼロになる
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