いやなところのひとつは、親の価値観に合わない友人を
親にあわせることをしなかったことだ。
小さいころから、自分たちの価値観に合わない人々を
批判していることをよく聞いていた。
それがいつのまにか自然に身についていた。
親の価値観でうけいれられることだけをはなし、
友人もそれに見合う人だけを紹介した。
この辺から僕のゆがみははじまっていた。
反発されるのはいやだったし、批判されるのもいやだった。
それを聞くのもいやだった。
テレビを見てもああだこうだと不平不満をよく言っていた。
「よい子」を振舞う振りをするようになった原点は
その辺にあるかもしれない。
最近でも親しい友人に対して同じように振舞う
ことがあることがわかった。
プロテクトができていない子供時代、しかも
敏感であればその分、そこから抜けるは
容易ではないということだ。
コメント